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さかい みょう じん
境 の 明 神
むかし、小妻にあった地蔵院という寺に賊が入り、寺の宝を盗んで逃げ去りました。
藩の役人の必死の探索の結果、町屋村で犯人がつかまり、太田の役所へ引っ立てられました。
太田の役所で取り調べ、拷問の結果、はりつけの刑を申し渡されました。
はりつけの場所は、奥州境の峠ということになり、罪人は太田の役所から後ろ手に縛られ、馬に乗せられて棚倉街道を引かれてきました。
境の明神に近づくと、罪人は役人に、「どうにか助けてもらえねえものか」と何度も何度も命乞いをしました。
しかし、役人は、「わしらはつとめを果たすだけだ」と答えるだけでした。
これが嘆願沢の由来だといわれています。
この近くには、槍でつかれて「う− う− う−」といううめき声を上げたウー沢や、絶命した地獄沢などがあります。
また、この時の見物人は常州、奥州、遠くは野州からも集まって4000人以上にふくれ上がり、見物人同士のけんかや、きんちゃく切りの被害にあった人もいたということです。
*きんちゃく切り すり
*棚倉街道 小里街道、小里通りとも呼ばれた。
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