ご  すけ
大 男 の 吾 介 さ ん

 江戸末期、生田に吾介さんという大男がおりました。
 吾介さんは身の丈六尺三寸(約ニメートル)のがっちりした体格でした。当時は五尺三寸(約一メートル六〇センチ)もあれば大きい方だったのです。現在では、ハワイ生まれの曙関に匹敵する大男です。
 吾介さんは、馬の背に米俵を付けるときは両手に一俵ずつ持ち、馬の背ごしに楽々とつけることができたそうです。
 吾介さんは材木商で、時々江戸に行きました。ある時、大名屋敷の脇を通ると塀から頭が出て、中をのぞく格好になってしまいました。
 当時、庶民は下馬して通るしきたりでしたので、屋敷の中より侍が刀を抜き放って飛び出してきました。「下馬しろ無礼者、下馬しないなら斬り捨てるぞ」
 ところが大男が悠々と歩いています。侍は、「これはご無礼いたした。平にご容赦下され」と言って引っ込んだそうです。そんなことは一度ならずあったそうです。
 当時は治安が悪く、利根の河原は追いはぎが出るので夜歩く人はいません。
 吾介さんは江戸からの帰途、その利根河原で日暮れになってしまいました。「夜は危険だから、今晩はぜひ泊まって、明朝はやくお出かけになった方が良いでしょう」と旅籠屋の番頭に勧められたのですが、「急用でどうしても先を急ぎますから」と言って、夜通し河原を歩いていきました。すると、向こうに焚火をしている人たちがいます。
 近づくと人相の悪いのが五、六人で何やら相談をしているところです。
「ははあー、これは追いはぎだな」と思いましたが、度胸を決め、たばこを一服所望しました。大男に驚いた男たちは、大きなキセルを貸してくれました。そのうち一人減り、二人減り最後に残った一人が駆け出しました。キセルを返そうと大声をかけると、なお夢中になって逃げてしまいました。
 吾介さんは、このキセルのことを、よく自慢話にしていました。
 水戸藩では、幕末に追鳥狩という軍事訓練を行ないました。そこで小中村、でも吾介さんら数名が参加しました。その際狩場に放すため、生田の大滝の上でつかまえた白狐を籠に入れて持参し、ごほうびをもらいました。
 この時も殿様の前で、「下馬しろ、下馬しろ」と怒鳴られたそうです。
 吾介さんはよく分家に来て、下囲炉裏の横座に座ってあぐらをかきましたが、三尺幅の(約一メートル)囲炉裏の縁から吾介さんの両ひさがはみ出したそう、です。