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平 九 郎 爺 と 丹 後 の 婆
里川の西、小菅と折橋の境の山の沢を丹後の沢と呼び、地続きの南の山を平九郎地と呼んでいます。
丹後の沢は、むかし、徳田の永戸に城を構えていた中野丹後守の持地だったことから、その名で呼ばれ、平九郎地は、同族の中野平九郎の持地だったといわれています。
この二つの山にはそれぞれ平九郎爺と呼ばれた青みがかった大蛇と、丹後の婆と呼ばれていた赤みがかった大蛇が住みついていました。
丹後の沢には、藤の大藪があり、ニ匹の大蛇はそこに出て来ては藪に群れ遊ぶキジ、ヤマドリを1羽ずつ捕まえて食っていました。
丹後の沢にはスギ、ヒノキの大木がうっそうと繁っていましたが、ある日、多勢の木挽きたちがやって来て小屋がけをして、伐採管切り、枚挽きなどの作業を飴めました。
藤藪に出てはキジやヤマドリを食っている大蛇を見つけた木挽きたちは、「毎日キジやヤマドリを食っている大蛇を捕まえて食ったらさぞうまかろう」と話がまとまり、捕まえて殺してしまいました。
その夜、大蛇を肴に飲めや歌えの大騒ぎ、「うまい、うまい」とたらふく食べました。
すると、次の日から変わった事が起き飴め、けが人や病人が次々に出て、もとじめまでにも及びました。
これはあの大蛇を殺して食ったたたりだという事になり、山に小さな祠を建て、大蛇の霊を慰めてやりました。
その後は変わったことが起こらなくなったということです。
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