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三 千 駄 の 荷
むかし小菅に中野屋の屋号を持つ材木商がいました。大変繁盛しており、動かす材木の量は「山に千駄、中に千駄、土場に千駄」といわれ、絶えず三千駄の荷を捌いたといわれています。
屋敷の下には、常に牛馬ニ、三十頭を飼って運搬に使い、江戸を中心に商売を広げていました。
水戸藩への献納金も度々していたと言われており、代々次郎左衛門を名のり、あの有名な江戸吉原の大門を、二代目は二回、七代目は一回閉めたと言い伝えられています。
吉原では、田舎にもこのような大金持ちがいるのかと大評判だったそうです。
*駄 馬1頭に負わすだけの重量 約135キロ
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