湯八幡の石祠
1 湯八幡
上深荻坂の上には、今も硫化水素を多く含んだアルカリ泉が湧き続け、土地の人々が風呂に利用し重宝している。
江戸時代には、この泉を利用、数軒で湯治場を経営したが、棚倉街道の道脇でもあったのでかなり繁昌したらしく今でも族籠の名残が屋号に残っている。
この湯八幡は湯本坪中で建立したものだが、温泉の薬効を一層たかめるべく八幡神(八幡大菩薩)を坪中で祀ったものであろう。
坂の上の東坊・西坊
2 坂の上の東坊・西坊
村の南端に坂の上坪があり、田所木工所の北側に東坊・西坊と呼んでいる地名がある。今は国道三四九号線に分断されて東側に畑、西側に畑、一部住宅地で昔は此の地に寺があった。
文安四年(一四四七)宥智と言う僧が開いた真珠院東光寺である。
江戸幕府が出来ると全国を支配する上で寺院に対して強い統制を行う様になり、水戸藩でも光圀が二代藩主になるとさっそく寺院の整理や神仏分離を進め、寺社制度が改められた。此の制度により里美地方でも多くの寺が廃寺となった。
元禄年代であろうか、明らかではないが東光寺も廃寺となり、僧は職が無くなったので、空海(弘法大師)の生れた四国の地へ渡ったと言う。
現子孫は徳島県名西郡石井町にある地福寺の僧(宥典)として務をしていると言う。五百数十年を過ぎた今日でも地域の年寄り達は僧の住んでいた地を東坊・西坊と呼んでいる。
3 坂白羽神社−上深荻
国道三四九号線を常陸太田市にむかい、細田の坂をのぼりきったすぐ左側に白羽神社がある。
この神社はもと八幡宮であったが、八幡信仰は本地(本尊)を阿弥陀如来として神仏混淆の中心となっていたので、光圀が元禄十年(一六九七)寺社改革の一環として行なった神仏分離策の一つ「八幡潰し」により破却された。それまでの御神体であった仏像は水戸の神応寺に納められている。
現在の白羽神社は、その当時の寺社役太田丹之進により、郷土の名社で延喜式内社でもある常陸太田市白羽町の天白羽神社を分祀し奉ったといわれている。祭神は天白羽神で「麻を織って衣服をつくることを掌る神」とされている。
江戸時代は深荻郷十二ヵ村の鎮守で、本山派山伏大法院が別当であった。今でも「八幡さま」とよばれているのは三百年以前の名残りである。
細田のむくろじ
4 細田のむくろじー上深荻
むくろじはムクロジ科の落葉高木。高さ十五メートル以上になり、葉は羽状複葉。六月ごろ淡緑色の小さな五弁花を円錐状につける。
果実は径約二センチメートルの偏球形で黄褐色に熟し、中に黒い種子が一個ある。この種子を羽根つきの羽根の球に用いた。種子が黒いことから「むくろじは三年磨いても白くならぬ」ということわざがある。
果皮はサボニソを含むので石けんの代用にされた。
里美村指定天然記念物