伊勢佐木町の町名由来を記した文書
伊勢佐木町の町名由来を記した文書
76 ミナト・ヨコハマ・伊勢佐木町

 近代西欧文明への窓口となった横浜。そのミナト・ヨコハマに近い繁華萌として、伊勢佐木町は、現在も〈ザキ〉の名でハマッ子に親しまれている。
 伊勢佐木町は、明治末には商店街が出来、洋画を日本で最初に封切りしたオデヲソ座(現横浜松竹)が造られた。高村光雲らによって造られた〈火伏の神輿〉が在ったり、島崎藤村が学校を卒業した後雑貸店で手伝いをしたということなど、いろいろな逸話も残っている。
 伊勢佐木町の名は明治七年に制定されたが、町名の由来は、神東川奉行を勤めた依田伊勢守・佐々木信濃守の名にちなんだとも、この地域の開発に力を尽くした伊勢屋文蔵と佐々木次郎の名を採ったものともいわれている。
 しかし、最近になって伊勢佐木町の町名の由来を記した文書が発見された。それによると、中村次郎衛・佐川儀衛門・佐々木新五郎三名の名だという。中村の屋号の伊勢屋から「伊勢」佐川の「佐」、佐々木の「木」を採って伊勢佐木町としたというのである。
 佐川儀衛門は久慈郡小中村(現里美村小中)の人である。